第三次声優ブームの余韻(~2000)
桜井智と言う声優アイドルを追い掛けていた90年台後半、まさに刺激的な数年間であったのですが、それも2000年を超えた辺りから陰りを見せ、俗に言う第三次声優ブームを追い掛けるのもいつしか収束していきました。
アイドル文化、声優文化が人生に大きく影響を与えたのですが、通信インフラだったパソコン通信、ニフティの会議室もWWWの波に押されて、通信インフラを取り巻く環境も変わっていき、時代の空気も徐々に変化していきます。
そして、桜井智自身の結婚、しかもあまり祝福されない形でしたが、これが決定的な引き金になり、個人的な事情も重なってライブに行くことも無くなりました。
同時期に第三次声優ブームを牽引していた椎名へきるであるとか、國府田マリ子であるとか、他のアーティストに移って活動して行く方向もあったはずですが、並行して作成していたホームページの方が面白くなって来たこともあり、自然消滅していった感じです。
ただ、ライブ現場に行けない空虚感は反動として強くあって、声優ではありませんがハロプロの松浦亜弥の現場が面白そうだという感じがあったりして、行きたくてウズウズしていたのを思い出します。実際は参加することなく、良い歳して今更アイドルの現場デビューというのもどうかという抵抗感もあり、一人で乗り込む勇気が無かったと言う一言に尽きます。
この十年間の自分を振り返ると、今では信じられない事ですが、松浦亜弥は本物のアイドルだっただけに、本当に惜しいことをしたと後悔しています。
松浦亜弥に関しては、ライブDVDを買って観たりして楽しんではいましたが、声優方面も後追いで椎名へきるのLDを買ってみたり、國府田マリ子のCDが良いなとか…色々、模索していたのを思い出します。でも、現場に足を運ぶことはありませんでした。
そもそも、自分が桜井智を知る切っ掛けを作った友人というのが居たのですが、彼は、その後水樹奈々という声優に興味を移して行きます。たびたび、会話に出てくる「水樹奈々」と言う言葉を刷り込まれて、こちらも意識せざるを得なくなりました。
そして、自分がPerfumeに興味を持った辺りで、ライブの現場に戻りたいという気持ちが高まって来ました。どちらかというと、声優やアイドルよりテクノのPerfumeをまず観たいと思った訳です。仕事面でのストレス発散の意味もあり、テクノと結局のところ声優方面も、全く異なる二つの分野でライブ現場復帰を図りたいと画策し、まずはPerfumeのファンクラブへ入会をします。
そして、2010年に決心をします。2007年辺りから燻っていたライブ現場復帰案件、ここから5年無いし10年ライブに費やしてみるかと。この際、歳は気にしません。まず、後悔しないことがポイントです。
第四次声優ブームの立役者(2007~)
なぜ2007年かというと、彼女が主要キャストで出演している「魔法少女リリカルなのはStrikerS」を見始めていたからです。そのOPが彼女の楽曲「SECRET AMBITION」であり、音楽的にも徐々に聴いてみたいなという感触があったからなのです。
また、水樹奈々と田村ゆかりがなぜブームを引っ張っているのかが、このアニメのシリーズで共にヒロインを演じているためというのも分かりました。
水樹奈々については、2ちゃんねるで情報を集めていましたが、決心の年2010年にラッキーにも地元名古屋での直近のツアーライブのチケットを手に入れることになります。これは、ライブ1週間前のことでした。機材席解放を偶然捉えることが出来たのです。しかもTwitterの事前情報でTVの公開収録も行われると言うので、これはもう思わぬ副産物でした。
ライブ当日、名古屋ガイシホール(旧レインボーホール)は初めて入る会場でした。機材解放席は左側スタンドでしたが前よりでしたし、なかなか良席でした。声優ライブは久しぶりでしたが、現場感は分かっているつもりです。
会場の大小こそあるものの、過去に声優アイドルの現場を経験しているのが生きて、サイリウムを準備、奈々カラーのブルーとエタブレ用のUO、そしてSPな楽曲もやると言うのでそれ用のピンクも準備して、水樹奈々のライブを堪能しました。
中継局はNHKでした。当時まだフリーになる前の神田愛花アナが来ていました。特番の春うた企画で水樹奈々はライブ会場から生中継という訳です。こういう経験は初めてだったので特別感がありました。
スタンド席だったため、「Eternal Blaze」のイントロでは、それはそれは見事にアリーナがUOで埋まっていくのを眺めることが出来、感動したのを覚えています。そして本編で披露しなかった「Power Gate」が予想通りアンコールで、TV中継のタイミングで来ました。これもコール&ジャンプが圧巻でアリーナ席は波打っていました。
TV中継は、2曲。「Power Gate」の前に、坂本冬美の「夜桜お七」のカバーをやっていて(ピンクのサイリウムはこの曲用だった訳です)、元々が演歌出身の彼女、そこからの通常運転への展開に萌えました。
当時新曲だった「DISCITHEQUE」のちゅるぱやとか、生中継後に突発「アオイイロ」とか、この後も参加したくなる様な濃い内容を最初のライブで経験してしまいました。結果、この凄い体験も味方して毎年の恒例行事のように真夏のツアーに参戦するようになります。
このライブ参加を機に、また声優アイドルの世界が身近なものになり、雑誌なども買うようになります。ただ、水樹奈々に関しては追っ掛けという距離感とは少し違っていました。
彼女の曲の中で特に好きな曲の一つに「New Sensation」がありますが、もしかすると過去に無意識に聴いていた可能性があるのです。この曲は、カンコー学生服のCFソングでもあり、そこで刷り込まれていたのではないか、ということです。
ファンクラブイベントでは、「POP MASTER」と言う楽曲で、ビデオクリップの撮影も経験しました。事前にお揃いのTシャツをもらって着替え、同じ楽曲で5回程撮ったと思います。その他大勢の一人で顔が映っている訳ではありませんが、あのPVの中に居たと思うと胸アツです。
第n次声優ブーム、厳密な定義はよく分かりません。桜井智を追い掛けていた時期に第3次と言われていたような気がするので、水樹奈々の時代は第4次ということになるでしょうか。そういえば、彼女のデビューは1997年、PlayStation用ゲーム『NOeL 〜La neige〜』の門倉千紗都役でしたが、イメージソングの一つをイメージソング「kahoの唄 〜ガールズ BE シンデレラ〜」を桜井智が歌っていました。
水樹奈々と田村ゆかり、特にライブという側面において双璧の二人。これに、田村ゆかりの元相棒であった堀江由衣を加えてTOP3とすることもあります。けいおんがブームを巻き起こし、スフィアも声優ブームに拍車をかけました。二人ユニットのゆいかおりも人気でした。
歌手・水樹奈々、アーティストへ
2004年の魔法少女リリカルなのはとそのタイアップ曲で人気を得て、「ETERNAL BLAZE」でオリコン週間2位という声優の持つ記録(それまでは林原めぐみの「Northern lights」が3位)を更新、翌年には1997年の椎名へきる以来となる武道館公演を実現、まさに第4次声優ブームの代名詞と言って良い活躍を見せます。
元々演歌の教育を受けていたこともあり、歌唱力にもあるレベルの実力を持っていたこともあって、単なる声優アイドルからJ-POP歌手へ、そして声優アーティストと称される大きな存在に成り上がっていきます。
オリコン週間1位、東京ドーム公演、紅白歌合戦出場と、J-POPアーティストの一人という普通の人にも名前が知られるような存在になって行きますが、これはファン心理としては実は寂しい側面もあります。
声優であるが故の面白み、強みというものがやはりあると思います。売れて行く過程を楽しむことも醍醐味ですが、一定の距離感を保ちつつ自分達だけのアイドルであって欲しい願望もあり、UOを折るという文化とかそういうともすれば内輪受けレベルのようなことも忘れて欲しくない訳です。
J-POPアーティストという肩書きよりも、声優アイドルといった肩書きの方が好きですし、グレードが下という意識も全くありません。「アーティスト」>「アイドル」という図式がどうも好きではありません。
一般化することで凄い存在になったという認識はありますが、「アニメ ⇔ 声優 ⇔ アイドル ⇔ 歌」の構図の中で生きているパーソナリティは、単なるJ-POPアーティストという肩書きでは片付けることは出来ません。
今では、テレビの歌番組でも普通に水樹奈々の姿を見ることが出来ます。「声優」と言う肩書きだけで考えれば、これは一昔前では考えられなかったことです。一時期NHKで声優をピックアップした番組が集中したときがありましたが、地上波で観られるなんてとまさに神番組扱いでした。
彼女の歌う曲もかなり曲調が変わっていき、変態性が高くて技巧的な、それはそれでハイテンポで現場でも盛り上がるし面白いのですが、昔の若い時代の楽曲もやはり捨て切れない訳です。
昔はペンライトもそれ程一般的ではなく、サイリウムを折って声援を送っていました。彼女の代名詞的代表曲「ETERNAL BLAZE」で、ペンライトではなくUOのサイリウムを折る、という瞬間をいつまでも残したいという思いもありますが、その風景も変わりつつあります。
やはり、「声優」という要素をいつまでも持っていて欲しい。個人的には、2018年に水樹奈々に関しては撤退してしまいましたが、アルバムは買い続けると思うし、機会があればまたライブも観に行くことでしょう。
そして、2020年7月7日。突然飛び込んできた水樹奈々入籍のニュース。これには驚きましたが、年齢を考えれば全く不思議なことではありません。第4次声優ブームの顔も既に40歳。そして、第一子を授かったと言う知らせも飛び込んできました。この先どういう活動を見せるのか、こればかりは見守るしかありません。
第4次声優ブームを牽引してきた2人、水樹奈々にしても田村ゆかりにしてもその取り巻く環境は変化しています。声優人気はある一定レベルを維持しつつ、次のステージへ既に移行してしまったと考えられます。自分の興味もこの2020年で一区切り、次世代を担う人気声優も居るには居ますが、ここでまた距離を置くことになるでしょう。
おすすめの「水樹奈々」アルバム
お勧めというか、お気に入りのアルバムを紹介します。
1.『GREAT ACTIVITY』 (2007年、6枚目)
私が水樹奈々に入れ込む切っ掛けを作った6枚目のアルバム。重厚なメタル張りの1曲目からして引き込まれる。4曲目と11曲目は、なのはStrikerS前期・後期OP曲。如何にもな展開でぶち上がる。個人的に一番好きなのは9曲目の「アオイイロ」だ。彼女のイメージカラーでもあるサイリウムを振ればそこはすぐにライブ会場に。アップテンポな曲から静かな曲までバラエティ豊かである。(※再生音量注意)
2.『HYBRID UNIVERSE』 (2006年、5枚目)
このアルバムからオリコンでも上位(実績3位)にランクされるようになった。ラストに「ETERNAL BLAZE」という超有名楽曲が収録されているのがその大きな理由だ。これと5曲目がなのはA’s関連曲。1曲目の「残光のガイア」もライブではUOを焚くファンが多い程の人気曲。7曲目の「SUPER GENERATION」も応援歌としてライブで良く歌われる曲だが、水樹奈々自身の手によるものである。(※再生音量注意)
3.『ALIVE & KICKING』 (2004年、4枚目)
オープニングは元気で活発な印象で始まり勢いを感じる4枚目。10曲の「JUMP!」なんかも若さの勢いを感じてジャケ写ともイメージも重なる。無印なのはOPの超名曲「innocent starter」を2曲目に収録、この「静」の名曲はもう一つの彼女の代表曲。8曲目の「Take a shot」も無印なのはの挿入歌だが、格好良くて非常に好きな楽曲だ。12曲目もライブで良く歌われるファンキーでなかなか攻めている楽曲。(※再生音量注意)
4.『MAGIC ATTRACTION』 (2002年、2枚目)
デビュー作から大きく躍進しオリコン21位を記録した2nd。3曲目の「PROTECTION」から6曲目「STAND」にかけてがお気に入り。7曲目の深く歌い上げる「deep sea」も良いのだが、個人的前半のクライマックスはその次の「suddenly~巡り合えて~」だ。ラス前にライブの超定番曲「POWER GATE」、後半のクライマックス。可愛さもあり、力強さもあり、最後にしっとりと締めくくる構成。初期奈々の魅力満載だ。(※再生音量注意)
5.『ULTIMATE DIAMOND』 (2009年、7枚目)
水樹奈々としてはもちろん、声優のアルバムとしても史上初のオリコン1位を記録した7枚目。シアトリカルな1曲目から和風メタルと言って良いヘヴィな「悦楽カメリア」へ。一方「Mr. Bunny!」のようなラヴリーな楽曲もあり。ハイテンポな9曲の「Gimmick Game」、14曲目の「Astrogation」辺りはアッパーで盛り上がる。紅白出場でも注目された「深愛」もこのアルバムの重要曲だ(※再生音量注意)
6.『DREAM SKIPPER』 (2003年、3枚目)
2枚目で既に人気を安定した水樹奈々の矢吹俊郎プロデュース第2弾。始まりこそ静かだが、2曲目の「BE READY!」では力強いポップロックナンバー、否が応でも盛り上がる。4曲目「still in the groove」は高速ダンスナンバー、ライブでも良く聴く。12曲目の「恋してる…」のようなラヴリーな曲もあるが、やはりここは14曲目の「New Sensation」が絶対的応援ソングとして絶大な存在感を示している。(※再生音量注意)
7.『CANNONBALL RUNNING』 (2019年、13枚目)
前作から3年をおいて発表された13作目で現時点で最新の水樹奈々。但し、目立った進化が見られるかというと疑問。2曲目の「カルペディエム」はピアノのイントロが印象的な変態曲。10曲目の「METANOIA」は39枚目のシングル、これと17曲目がシンフォギアXVのタイアップ曲、重厚で格好良い。12曲目の「NEVER SURRENDER」は38枚目のシングルでリリカルなのはタイアップ曲。(※再生音量注意)
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