テクノミュージックとPerfume(~2020)

アイドル
スポンサーリンク

YMOの衝撃、テクノポップという音楽

テクノミュージックとPerfume、ここ10年はライブ参戦の時代でしたが、その中でも女性3人組のPerfumeは最も重要な存在でありました。
私の音楽人生においてテクノと言う分野を知る切っ掛けは、言うまでもなくYMO(イエロー・マジック・オーケスオトラ)です。細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一、そしてサポートメンバーとして矢野顕子や松武秀樹などで構成された変わったグループでした。テクノなのでバンド言った感じとは少し違います。
出会ったのは、1979年だったと思うので、私が高校生の頃で丁度洋楽を聴き始めた頃とほぼ重なります。FMラジオで掛かった「テクノポリス」そして「ライディーン」の2曲、最初に聴いたときのその衝撃たるや半端なかった訳ですが、暫くはレコード等を買う訳でもなく、ラジオの特集番組やエアチェックをリピートしていました。
当時は、FMラジオの流す曲も規制が緩く、アルバムまるまる流して紹介とか普通にありましたから、FMラジオのエアチェックというのは非常に価値のある方法でした。初期のアルバム曲は大方この方法で聴いているはずです。
セルフタイトルの1stアルバムには、アーケードゲームのネタも入っていて、元々ゲーム好きだった自分としては、これもテクノミュージックとの親和性が高いことが味方した感じもします。
当時、テレビでも取り上げられていたような記憶がありますが、テクノ御三家的な括りで、ヒカシュー、プラスチックス、P-MODEL等も語られました。例えば、プラスチックスの「コピー」という曲は今でも耳に残っている楽曲だったりします。
しかし、この頃はまだテクノの神と言われる洋楽方面のクラフトワークへ興味が移ったりはしませんでした。(ただ「The Model」等の有名曲はラジオで掛かっていました<後にヒカシューはカバーしているようです)この時はまさかその後にライブで観ることになろうとは夢にも思いませんでしたが。

ディスコデビューとハードコアテクノ

そして、時は1992年。ジュリアナズ東京がバブル(実は既に崩壊していたのですが…)を体現していたまさに狂喜乱舞の時代。当時在住していた名古屋でも King&Queenや abime(アビーム)、Virgo(ヴァーゴ)と言ったディスコで同じような光景を見ることが出来ました。
自分が同僚とよく行っていたのがVirgoです。繁華街で名古屋の中心地、栄にありました。バブルディスコの象徴、今も持っているジュリアナ扇子もここで手に入れました。YMOはテクノポップでしたが、この時代に知り合った楽曲群はテクノハウス、そしてさらに発展したハードコア・テクノと言うものでした。
当時の流行として、洋楽の世界ではハウスからテクノのようなシーンが盛り上がっていることはUKチャートなどから知り得ている事でしたが、実際の現場とリンク出来たのがディスコのフロアでした。
そして、DJにも憧れたものです。ノンストップで色んな楽曲がプレイされていくというのもディスコの魅力ですが、その元ネタとなる12インチ盤が欲しくてたまりませんでした。結局レコードもクロスフェーダーも我慢しましたが、レーベル名の ”XL”の2文字が光輝いて見えた時代でした。名古屋の今池には、業界人御用達のメガミックスというお店もあり、足を運んだこともあります。
当時、テレビ愛知で SONY MUSIC  TV というビデオクリップを2時間流す神番組があって毎週エアチェックしていたのですが、ハードコアテクノ系のPVも特集で掛かったことを覚えています。808stateは、まだ分かるのですが、Quadrophoniaとか結構マイナーなユニットも流れていて、今考えるとビックリします。
とにかく対象となっていた楽曲自体が特殊で、音源を手に入れるのが難しく、ラジオのディスコ番組をエアチェックしたものを番組ごとリピートして細々と楽しんでいた感じです。
ただ、ジュリアナズ東京のコンピ盤が出ていたので、これは買い揃えました。そして、テクノでは無いですが、現場で掛かっていたユーロビートもいつの間にか守備範囲になっていました。ポップなディスコナンバーも含めダンスミュージックはやはりそれぞれの良さというのがあるものです。
ハウス、テクノ、ユーロビートと普通にチャートを追いかけていても出逢わないようなジャンルをディスコという現場で体感し、覚えた時代と言えます。普段、Billboard等のナショナルチャートを追い掛けていた方なので、これは新鮮な刺激でした。
ディスコの現場では、ドレスコードがあるので真夏でもジャケット羽織って入場、大晦日のカウントダウンにも出向いたことがありますが、それはもう真冬でも汗だくとなる始末。しかし、大音量で掛かるデステクノは、まさに死ぬまで踊り続ける事が嘘で無くなるような中毒性があったのです。
バブルは既に弾けていたのですが、ある意味事件とも言える1994年8月31日ジュリアナズ東京の閉店は、お立ち台撤去が引き金とも言われています。あの熱狂が嘘のように、間も無くジュリアナが閉店を迎え、夢のようなバブル・ディスコの時代も終焉を迎えます。
リアルでタイムリーであったお立ち台の光景も歴史の1ページになってしまった瞬間。12月には後継とも言えるヴェルファーレも六本木にオープンし、実際に一度だけ同僚と足を運んだこともありましたが、勢い的にはもはや祭りの後というのを感じて寂しい気がしました。
[ad]

テクノ×アイドル=?Perfumeという回答

そして、時は2007年。テレビで繰り返し流れていた、公共広告機構のエコ推進CMで採用された「ポリリズム」、木村カエラが自身のラジオ番組で猛プッシュした「チョコレート・ディスコ」という二つの楽曲が革命を起こします。
前者で少し気になり始め、後者でこれは何者?という感じで、ネットで情報集めないといけないと思わせた謎の女性3人組ユニット、Perfumeの登場です。
Perfumeは、アクターズスクール広島(ASH)の1期生、樫野有香(かしゆか)、西脇綾香(あ~ちゃん)、河島佑香の3人によって、2000年に「ぱふゅ~む」として結成されました。3人の名前に「香」の文字が入っているのがグループ名の由来とされています。
2001年に河島佑香が脱退し、大本彩乃(のっち)が交代で加入し現在のメンバー構成になります。2003年には、事務所の意向で「Perfume」に改名、プロデューサーに中田ヤスタカを迎えてテクノ路線に方針転換することになります。
YouTubeで「チョコレート・ディスコ」のPVを観たときの衝撃は今でも覚えています。愛らしいポップなテクノにハードコアテクノの時代でよく見たグリーンレーザーの映像!! これぞ、求めていた世界観。
そして、2ちゃんねるで現場の様子を伺い、最終的に「エレクトロ・ワールド」を聴いたのが決定打となりました。これは是非追い掛けるべきユニットとして認知。そして、実際にこの判断は間違いではありませんでした。その後経験するライブでは、この曲が大盛り上がりの定番だと知るわけです。
テクノとアイドルの融合。もちろん、それまでもアイドルがテクノポップを歌ったりと言うのはありました。それは一時的なものが多く、本格的に継続的にテクノをやるというのは、あまり記憶にありません。しかし、中田ヤスタカと言うプロデューサーの存在が、これを特別なものにしたのかも知れません。
それからは、ファンクラブ「P.T.A.」に入り、イベントにも参加、ライブにも度々足を運ぶようになり、Perfumeが生活の一部となる時代が来ます。2010~2020年のライブ参戦の時代を区切るのが、Perfumeというのも象徴的です。
2020年2月26日、現場で見た東京ドーム最終公演中止の光景はまだ目に焼き付いています。
プロデューサーの中田ヤスタカを通じては、その後に人気となるきゃりーぱみゅぱみゅ、自身のプロジェクトであるCapsuleに後追いでハマるなど、さらなる興味の広がりの切っ掛けを作っています。プロデューサーは違いますが、同じ分野と言って良い Aira Mitsukiも同時に発見して、良いなと思いCDやDVDを買いました。
最初に経験したのがファンクラブイベント、そしてポリリズムが神々しかった初東京ドーム公演、そしてまさにツアーを体感したJPNツアー。JPNツアーでは、OPまでに流れたCMに歓声が起こるなど、Perfumeがメジャーになっていく過程を証明するような異様な熱気がありました。
Perfumeは今なお人気グループとして走り続けているので、特別なことがない限り追い掛けることを止めることも無いと思います。テクノという音楽は非常に魅力的な分野で、心地よくそして無機質で、自分のような理系人間にはピッタリの音像を持つものです。
2019年には、洋楽になりますが、ついにテクノの神と崇めても良いクラフトワークのライブを現場で観ることが出来ました。これも凄い体験でした。ディスコやクラブではなく普通のライブ会場でのテクノがどんなものか興味津々でしたが、3Dライブという特殊なスタイルで貴重な体験となりました。
Perfumeのメンバーは、あ~ちゃん、かしゆか、のっちの三人(ちなみに私はのっち推し)。気が付けば、彼女たちも30代。テクノユニットという特殊な立ち位置で今後どういうパフォーマンスを見せていくのか、いつまで活動出来るのか、気になる所ではあります。
昨年に3枚組のベスト盤を出して一区切り、それを受けたツアーも今年頭にあった訳ですが、コロナ荷の影響を受けての最終公演中止。しかし、ラッキーなことに保険で取っていた大阪公演、そして急遽譲り受けて参加した名古屋公演と2公演は見ることが出来ています。
セットリストもまずまずで、概ね満足の行くものでした。しかし、一方で超定番曲の「チョコレイト・ディスコ」「エレクトロ・ワ-ルド」が外れる等、ちょっと寂しい場面もありました。これも、キャリアが長くなった証でもあると納得もしましたが、また現場で聴きたいと懇願したいものであります。

Perfume20周年、楽曲の魅力

まさに、現象であった。1979年然り、1992年然り、2007年然り、テクノにハマる時はいつも社会現象的レベル。14年に1回なら次は2021年辺りに何かあるはずですけどねぇ…ただ、Perfume、まだ大人気ですし、これを越えるテクノ現象はなかなか無いと思いますし、不動の地位を築いた感すらあります。
Perfumeのお勧めのアルバムです。
1.『GAME』 (2008年、1枚目)
「Perfume~Complete Best」がベスト盤的な扱いなので本来なら2枚目になるのか、このアルバムがなんとオリコン1位。気付いた時には既に遅く、業界ではもうかなり話題だった訳で、邦楽史に間違いなく偉大な足跡を残した1枚。冒頭の「ポリリズム」から変態曲、話題を作った「チョコレイト・ディスコ」はもちろん、CMタイアップ曲の「シークレットシークレット」、そして「マカロニ」の雰囲気がとてつもなく良い。そしてライブの終わりの雰囲気を伝える「Puppy love」で締めくくる。文句無しの名盤。(※再生音量注意)

2.『JPN』 (2011年、3枚目)
本来なら4枚目、日本を意味する「JPN」。このアルバムツアーで名古屋、静岡、大阪と西に東にまさに追っかけ気分を体験し、Perfume現場の実感を身に染みて味わった。FC会員でありながら追加公演では、なかなかチケットが取れずに苦労するなどPerfumeの人気が凄いのを実感した頃。「レーザービーム」「GLITTER」「不自然なガール」の様なノリノリの曲は即座にライブ会場を思い出す。「575」や「ナチュラルに恋して」の様な変化球もあって面白い。(※再生音量注意)

3.『Perfume ~Complete Best~』 (2006年、ベスト盤)
Perfumeが最初に放った1枚目のアルバムは、いきなりベスト盤という今となっては衝撃の歴史。しかし、その名に恥じない名曲の雨霰。新曲として書き下ろされた「パーフェクトスター・パーフェクトスタイル」は今でもライブの現役曲。デビュー曲の「リニアモーターガール」や、初期の代表曲「コンピューターシティ」「エレクトロ・ワールド」、アイドル性の高い時代を彷彿とさせる「スウィートドーナッツ」や「ビタミンドロップ」も楽しくて良い。本当に解散しなくて良かった。(※再生音量注意)

4.『(トライアングル)』 (2009年、2枚目)
本来なら3枚目、変わったアルバムタイトルだが読みはトライアングル。テクノっぽい理系心をくすぐるアルバムタイトルである。Perfume初のNo.1シングルとなった「love the world」、ファンに根強い人気の応援ソング「Dream Fighter」、ライブ会場では悶絶もの超絶バキバキ楽曲の「edge」を擁する。なかなかライブで披露されないレア感も作用して、ファンクラブ投票でリクエスト人気No.1となった「The best thing」が収録されているのも非常にポイントが高い。(※再生音量注意)

5.『LEVEL 3』 (2013年、4枚目)
テクノポップ・アイドルとして方向転換を図り人気に、JPNを越えた辺りからは女性ファンも増えたが、本来のテクノ好きクラブ方面の人たちも遠のいたとも感じられた。ノれるという意味では「Party Maker」に目が行きがちだが、ここはやっぱり「だいじょばない」である、現場で踊りまくるに最適の一品。「Spring of Life」もライブ会場で初めて聴いたときは、高揚感が半端無かった。この頃はドームツアも行える程メジャーな存在になって、手に届かない存在感も出てきた。(※再生音量注意)

6.『COSMIC EXPLORER』 (2016年、5枚目)
壮大なスケール感を感じさせるタイトルで、実際に2曲目タイトル曲はそういう雰囲気だ。本来ならこの雰囲気のまま統一感が欲しかった。3曲の「Miracle Worker」はノッチのターン、「起こせミラクル」で現場がブチ上がる楽曲。6曲目の「FLASH」は「ちはやふる」タイアップ曲。「Pick Me Up」や、会場で好評だったアルバムミックスの「Cling Cling」も後半に盛り上がりを作る。(※再生音量注意)

7.『Future Pop』 (2018年、6枚目)
オリジナル・アルバム6作連続オリコン1位。これが、今のPerfumeの実力。その時々で時代のトレンドを取り入れるのは中田ヤスタカの意向であろう。しかしフューチャーベースのノリについてはファンも戸惑ったと思う。クラブ系のファンが減った現在では尚更だろう。EDM指向、ビルドアップ&ドロップは過去の作品には見られない。目立った所では、4曲目の「TOKYO GIRL」は東京タラレバ娘のタイアップ曲。10曲目の「宝石の雨」はCMタイアップ曲である。(※再生音量注意)

コメント