KYON^2と3Mの支配した時代/CFアイドル

アイドル
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1982年、松田聖子のライバル登場

80年代女性アイドルTOP3、特に歌手という意味合いを含めた上で、松田聖子、中森明菜、小泉今日子の3人。誰もが認める所だと思います。松田聖子については、このブログの最初に述べました。
女性だけでも、実質81年デビュー先行の松本伊代に続いて、堀ちえみ、小泉今日子、中森明菜、三田寛子、早見優、石川秀美など。これをアイドル史においては、花の82年組と言ったりする訳です。特に、中森明菜という存在は、松田聖子の対抗馬として直ぐに頭角を現し互角の人気を誇りました。
思い違いでなければ、彼女を最初に認知したのは、学生時代に友人宅で麻雀をして居た時に流れていたラジオで、デビュー曲の「スローモーション」が掛かった時ではないかと思います。
出会いが声だけの印象だったので、シンガーソングライターか何かかなと思ったりもしましたが、2枚目の「少女A」のインパクトで人気が爆発してからは、ビジュアルも認知し、これは納得の人気と分かって暫く聴いていました。聖子ちゃんには無いダークな部分は、山口百恵の遺伝子を次ぐ者とも例えられました。
当時、写真集を買ってたり、セブン・イレブンのキャンペーンくじでパネルが当たると部屋に飾ったりして、松田聖子とはまた違った魅力があったのは違いなく、中森明菜にもやや入れ込み掛けたのですが、それ以上踏み込むことはありませんでした。

1982年デビューの82年組の人達。当時、既に松田聖子と言う圧倒的存在が居ましたが、それに次ぐ人気アイドルが続々誕生した時代です。この3人では、小泉今日子に強い興味を持った時期があって、自分史の中で無視することが出来ません。

実を言うと、今章でキーとなる小泉今日子については、同時期にデビューしながら当初それ程気には留めませんでした。やはり、中森明菜の方がインパクトが大きかったからです。
小泉今日子は、森まどかの実質カバー曲「私の16才」でデビュー、2枚目のシングルも林寛子の「素敵なラブリーボーイ」とカバー曲と言うことで、ややインパクトが薄かったのかも知れませんが、それにしてもライバルに中森明菜が居たのではしょうがないでしょうか。
しかし不思議なもので、1984年頃になると、個人的に松田聖子にも中森明菜にも楽曲的に少し興味が薄れる時期になって、逆に小泉今日子が入れ替わるように注目を引くようになって来ます。
そして、1983年の7枚目のシングル「艶姿ナミダ娘」が決定打となり、翌年オリコン1位の「渚のはいから人魚」辺りになると世間的にもかなり人気となり、後に聖子・明菜・今日子と80年代アイドルTOP3と肩を並べるまでになります。
髪を切って愛称のキョンキョンをKYON^2と表記、小泉革命と言った大胆な振る舞いで、後の二人とはまた違ったインパクトを与えました。割と遅咲きではありましたが、この出来事から次第にパーソナリティとしても存在感を増し、気が付けばEP盤を買ったりLP盤もジャケ買いで手に入れるに至ります。

1984年、斉藤由貴の胸騒ぎください…

気が付けば、学生当時にリアルタイムで一番お金を使っていたのは、松田聖子でも中森明菜でもなくKYON^2こと小泉今日子だったと言うオチ。歌手とかアイドルと言うより、もっと広範囲なアイコン的キャラクターとして好んだような、本命を外した所が面白かったような感じでしょうか。
実は、小泉今日子の見た目、持ち歌といった従来のアイドルへの接点とは別に、その後彼女との距離感が縮まるポイントとなってくるのがあって、それがテレビで流れるCM(CF)、女性タレントをフィーチャーしたCMです。
クノールカップスープのCMタイアップ曲「GOOD MORNING-CALL」「見逃してくれよ!」は楽曲のキャッチーさもあって興味を惹き、ドラマの主題歌「あなたに会えてよかった」も買いましたが、この後、彼女はなんとCFアイドルとして花を咲かせて行くのです。
そして、私の人生でもCFを通じてアイドルを好きになると言うパターンが見え始めます。小泉今日子の場合は、既に歌手として知っていましたが、そうではなくCFで初めて存在を知るというパターンです。そして、CFと女性アイドルの強い結び付きを感じさせる存在、その初期に中心に居たのが間違いなく小泉今日子でした。
丁度、アイドルの世界で小泉今日子に興味が移るようになった頃、あるCFが心を掴みます。「胸騒ぎチャーシュー」キャッチコピーは「胸騒ぎください…」。1985年のことです。「青春という名のラーメン」の一連のCF(「誘惑ベジタブル」「純情コーン」)は自分の中で特別な印象を与えました。
そのCFに起用された女性タレントは、独特の存在感で不思議な雰囲気を纏っていました。他には、AXIAのCFに出ていました。それが、斉藤由貴です。松田聖子なんかも、もちろんCFには出ていました。それこそアイドルCF界の有名所と言って良いグリコポッキーでは、とんでもない天使ぶりを発揮して私たちを魅了しました。
しかし、斉藤由貴の場合はちょっと違います。ミスマガジン出身という肩書きがあったとは言え、最初に知った切っ掛けがTV-CFだったのです。
松田聖子は歌手として既に人気があり、言っても同時進行でした。CFを切っ掛けにアイドルにハマるという、自分にとっての最初の女性タレントが斉藤由貴だったわけです。彼女に関しては、その後特に入れ込むことは無かったのですが、スケバン刑事はしっかり見て面白いと思いましたし、南野陽子のIIも浅香唯のIIIも流れでもちろん観ています。
楽曲と言う意味では、個人的には、アニメめぞん一刻のOP「悲しみよこんにちは」が印象深いところです。デビュー曲の「卒業」も井上陽水のカバー曲「夢の中へ」も良いんですけれども、やはり自分にとっての彼女はCFアイドルとしての存在感です。女優としての存在感です。
そんな中、クノールカップスープやベンザエース、スーパーマイルドシャンプー、三菱霧ヶ峰など多くのCFに出演、「神様仏様小泉様」とか言う言葉があったとか無かったとか、小泉今日子の出たCFの商品は売れるという迄になるKYON^2の存在感が絶大でした。
1990年、弁当向上委員会の「見逃してくれよ!」が一つの頂点でしたが、1984年頃から興味を持った小泉今日子がCFによってここまで興味を持たせるとは予想が付きませんでした。
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白鳥麗子登場~JR東海XmasExpress

斉藤由貴、小泉今日子によって開かれたCFアイドルの扉、そしてその黄金時代を迎えます。
三井のリハウス。「白鳥麗子」の登場は、宮沢りえという少女の存在を世間に知らしめました、それはそれはインパクト絶大でした。これが、1987年のことです。
そして、ポカリスエットのCFが話題になる頃には、会社の同僚に同じように興味を持つ奴が居て、話のネタになっていました。他にもマクセルやアメリカ屋靴店、不二屋キットカット、ケンタッキーフライドチキン等々ヒットCFの嵐。その後、彼女は女優としてもバラエティの世界でも大活躍します。
自分にとって大きかったのは、とんねるずのみなさんのおかげへの貢献です。白鳥麗子のキャラをそのままバラエティに持ち込み、とんねるずとの絡みが面白くて良く見ていました。自分の持ってる宮沢りえのイメージは、CFかとんねるずかという二択でした。
その後、ふんどしカレンダー、ヘアヌード写真集『Santa Fe』発売と、まさにぶっ飛んだ企画を実現し間髪入れず話題をさらって行きました。特に、人気絶頂の時に発売した『Santa Fe』は社会現象を巻き起こし、その売り上げ記録も未だ破られていないほどセンセーショナルでした。
CDデビューも果たしていますが、「ドリームラッシュ」は、小室哲哉の曲だったりします。
それから2年、次なる衝撃が待ち構えていました。とんねるずのみなさんのおかげですの合間に流れたJR東海のCFがそれです。BGMに起用された山下達郎の「クリスマス・イブ」も効果的で、嫌でもCFに目が行ってしまうのです。
名古屋駅構内で撮影されたというそのCFは、なんとも言えないミニドラマ風のテイストで心に残ったのです。そこに居た17歳が牧瀬里穂でした。彼女も宮沢りえ同様、みなさんのおかげですへ度々登場し、はっきりとブレイクするようになります。
やがて、宮沢りえ、牧瀬里穂、この後に出てくる観月ありさを含めて3Mと呼ばれるようになり、CFから人気の出るアイドル、女優達というパターンが完全に認知されることになります。
この頃になると、書店にあった専門誌に気付くようになります。「CM NOW(シーエム・ナウ)」という雑誌でした。やはり表紙は宮沢りえなどが飾っていました。明らかにアイドル誌的な狙いがあったと思います。暫くは、この雑誌も買い続けました。(ちなみに創刊号の表紙を飾っていたのは松田聖子、この辺はさすがとしか言いようがありません)
観月ありさ以降も、90年代の広末涼子(NTTドコモ)等、注目すべきタレントは居ましたが、自分の好みの中では、やはり3Mの時代が一番熱かったと思います。自分が追い掛けて行けたのは、00年代、グリコポッキーで注目を集めたガッキーこと新垣結衣が最後でした。
振り返ると、80年代アイドル歌手としての出発点を持ちながら、90年代にかけてのCFアイドル黄金時代に先鞭を付けた小泉今日子の存在は非常に特筆すべきものでした。

おすすめの「小泉今日子」アルバム

お勧めというか、お気に入りのアルバムを紹介します。
1.『小泉今日子II 詩色の季節』 (1982年、2枚目)
彼女のアルバムの中で自分が最も聴いていた作品で、初のオリジナルシングル「ひとり街角」で始まる2ndアルバム。シングル曲は1曲のみだが、3曲目の「林檎のきもち」、4曲目の60年代ポップス風「テレフォン・デート」など良い曲がそろっている。デビュー当時シングルは低調だったが、オリコン2位を記録している。(※再生音量注意)

2.『Today’s Girl』 (1985年、6枚目)
ジャケットが最高に眩しい6thアルバム。ジャケ買い上等、彼女の作品の中で一番好きなジャケットである。彼女初のオリコン1位を奪取。4曲目、8曲目にこちらもオリコン1位となった2曲のシングル「ヤマトナデシコ七変化」「The Stardust Memory」を収録。文字通り80年代アイドルの頂点を極めた。(※再生音量注意)

3.『Breezing』 (1983年、3枚目)
1曲目に5枚目のシングル「まっ赤な女の子」、6曲目に4枚目のシングル「春風の誘惑」を擁する3rdアルバム、オリコン2位。シングル曲がTOP10入りしだした頃で、自分も次第に気になりだした頃の作品。後者はただ明るいだけでない印象を受けて切なさが良い。この後に例のショートカット事件となる転機に。(※再生音量注意)

 

 

 

 

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