「全員集合」からのアイドル入門
「全員集合」と言っても一体何のことだろう、という感じですが、これはかつてTV地上波TBS系列で放送されていた「8時だョ!全員集合」のことを指します。
コミックバンドでもあるザ・ドリフターズが主体の1969年から1985年までの長寿番組であり、また同時に最高視聴率50%、平均でも平気で25%越えという、時代背景を考慮しても今からは考えられない様な国民的お化け番組でした。
番組の内容自体はお笑いバラエティで、途中途中で歌手のコーナーが入り、そこでアイドル歌手も歌を披露することが出来ました。
物心ついた頃にはこの番組は既にあって、特に小学生に絶大に人気があった当時、まさにリアルタイムで見ていた番組でした。土曜夜8時と言えばドリフ、全員集合、それはもはや寝る前の日課でした。
ドリフターズのメンバーは、いかりや長介、荒井注、加藤茶、高木ブー、仲本工事、この5人が繰り広げるコントは素直に面白くて、豪華なセットを組んで生放送でコントを中継するという、今ではあり得ない企画番組でした。
特に人気だった荒井注と加藤茶を中心にギャグも大流行し、当時の小学生に多大な影響を与えましたが、今振り返ると一方で地味に響いていたのがやはり歌のコーナーだったと思います。
当時、歌番組自体も沢山ありましたが、全員集合はほぼ毎週必ず見ると言うことで、そこにアシスタント的な存在として常にいたキャンディーズの存在は、やはり特別な存在となっていました。
キャンディーズは、1973年デビューの女性3人組。ランちゃん(伊藤蘭)、スーちゃん(藤村美樹)、ミキちゃん(田中好子)で当初スーちゃんがメインヴォーカルで後にランちゃんに代わり、「わな」でミキちゃんが1回だけセンターを務めています。
自分の中でのアイドル史というのは、キャンディーズ辺りが最初と思っていましたが、ここで70年代のアイドルについて振り返ってみようと思います。
70年代に一般的な意味でもの凄く人気のあった女性アイドル(タレント)というと、まず思い浮かぶのが天知真理でしょうか。1971年デビュー、70年代前半を圧倒的な人気でテレビ番組にCMにと駆け抜けました。露出度の凄さは今でも覚えています。
そして、1971年というと伝説的オーディション番組「スター誕生!」もこの年にスタートしています。
ここからは、デビュー第1号の森昌子を含む花の中三トリオ(山口百恵、桜田淳子)が72~73年にデビューしたり、75年に岩崎宏美、76年にピンクレディー、78年に石野真子を始め、80年代に入っても小泉今日子や中森明菜の82年組、岡田有希子(84年)等多くを排出しています。
同時期では72年デビューの香港出身のアグネス・チャンも居ました。他には、岡崎友紀が70年、南沙織が71年、麻丘めぐみが72年、林寛子が74年、大場久美子、榊原郁恵が77年。
キャンディーズが78年に解散コンサートを行い、中三トリオだった山口百恵が80年にファイナルコンサート、同年解散を発表したピンクレディーも翌年解散コンサートを行うなど、アイドル史において70年代と80年代の節目を感じさせる出来事が重なりました。
実は、1981年にセーラー服と機関銃で大ブレイクを果たす薬師丸ひろ子も既に女優デビューを果たしていました。
そして、1980年松田聖子の登場を迎えます。
キャンディーズと全キャン連
80年代は、振り返るとアイドル黄金期と言え、おニャン子クラブが席巻した後アイドル氷河期を迎えるまでに、グループ、ソロ含め色々なアイドルが活躍していました。歌番組もまだTVのメジャーなコンテンツとして人気があり、好みに関わらず歌に触れる機会が多かった時代です。
そんな時代に、ライブ会場という現場では親衛隊というファンの集まりが組織され、またアイドルに対する声援の送り方、応援の仕方も発展を遂げて行きました。
そして、キャンディーズのそれは、全国キャンディーズ連盟(全キャン連)と言って語り継がれています。
1970年代、アイドル毎に存在した親衛隊は時に親衛隊同士でいざこざがあったり、逆に親衛隊同志が連携を取り合ったりしていたようです。この辺りは、当時の現場を知らない身としては想像でしか考える事が出来ませんが、いざこざが起こりやすいのは何となく想像出来ます。
石野真子の親衛隊や榊原郁恵の個々の親衛隊が中心となって、全国規模の組織になって行ったと言います。
その後自然な流れで松田聖子の親衛隊が大きな組織として存在しています。各親衛隊にはニックネームみたいなものが存在していたようで、石野真子の場合は、「石野真子隊 ”M・L・C”(MAKO-LOVELY-CIRCLE)」、松田聖子の場合は、「松田聖子隊 ”S・E・C”(SEIKO-ENGAGING-CIRCLE)」と名乗っていたようです。
アイドル間、地域間を跨いだ親衛隊の大きな連合というのは、第3次声優ブームの小さな規模しか知らない身としては想像を越えたものがありますが、その名残も見て取ることが出来ました。
第3次声優ブームの人気声優、桜井智のファンクラブ的存在だった桜井智後援会には、レモンエンジェル時代の名残があって地方地方の支部的な区分に支部長みたいな存在が居ました。
親衛隊の応援のスタイルというのも歴史があって、歌に対してのコールというものがあります。言い換えれば合いの手みたいなものですが、その後コールも複雑化する中で長い台詞調の口上のように新参お断りのようなものも出て来たりします。これは、知っていれば仲間内で非常に盛り上がることが出来、一体感を感じさせるアイテムですが、一方排他的な側面も否定出来ません。
当時はもちろんコンピュータも無かった時代、色んな便利ツールも無い時代にコールの共有をどうしていたのか知りません。ただ、第3次声優ブームの現場でも、コール表と言って開演前に有志がコピーを配っていたりということをしていたのを思い出すと、同じように普及活動をしていたのかなと考えたりします。
昭和のアイドル応援文化と言えば、客席から乱れ飛ぶ紙テープがあります。これは、70年代、80年代アイドル特有の文化ではなく、それ以前に60年前後のロカビリーブームの時代にまで遡ることが出来るようです。
しかし、芯を抜いて投げる等、安全面に配慮した暗黙の了解を欠いた行為が招いた意図せぬ事故が切っ掛けとなって禁止になってしまいます。紙テープを投げてステージを埋め尽くす光景は明らかにコンサートの盛り上がりと興奮を伝えます。しかし、アイドルの身の危険を招くと成れば(同時にゴミ回収の問題でもあったり)ファンも身を引くしかなかったのでしょう。
第3次声優ブームの人気声優だった桜井智が以前所属していたレモンエンジェルの日本青年館コンサートでは、90年代を目前にしてまだこの光景を見ることが出来ました。この辺が最後かも知れません。
会場のスタンド2階席に横断幕が掲げられるというのも今では見られなくなった光景の一つかも知れません。
子供の頃、また大人になってから暫くも、アイドルというのはテレビの中の人で、ブラウン管(テレビが液晶でも無かった当時の表現)を通して接する存在でした。特に自分のような田舎の中の田舎に住んでいるような人間にとっては、それはそれは遠い存在でした。
[ad]
声優アイドルブームから振り返る
アイドル(または歌手、芸能人)のステージを直に見た最初の経験は、先に書いた通り森口博子でしたが、その時点ではまだアイドルとファンのコアな関係性については、余りよく分からない状態でした。
その後、桜井智の存在に知り、成り行きで半ば追っかけみたいなことをするようになって、たまたまアイドル本人とファンの間を知る環境に恵まれて、その濃い関係性に興味を引かれ考えるようになります。
その活動の中心にコールや垂れ幕などのコンサート会場での応援のスタイルがあって、その成り立ちみたいなものが、かつてテレビの中でも少し見られたような光景とどう繋がっていって来たか、を想像することが出来ました。
桜井智の居た第3次声優ブームには、他にも椎名へきる、國府田マリ子等の人気声優が居て同じ様なコミュニティを作っていました。推しを兼任している人も当然居たので、外部の様子も時々耳にすることもありました。
この1997年頃の第3次声優ブーム全盛時点での光景から、約23年遡って1975年頃が親衛隊の創世記とすれば、その対称軸として2020年、ほぼ現在の光景と言うことになります。
親衛隊の持っている護衛のような本来の意味は、基本的にはもう消失しているような気もします(もしかすると人気が出る前のコミュニティが小さい状態では弱くあるかも知れません)が、ステージに声援を送るスタイルも形を変えながらも現場では今も繰り広げられています。
使い捨てだったサイリウムもペンライト、しかも色を自由に切り替えられる多色ペンライトに変わって、グッズとして売られて当日に調達することも簡単に出来るようになりました。
ロマンスを代表格とするハロプロ起源とも噂される所謂オタ芸、OAD、サンダースネイク、アマテラス等も一時期メディアに取り上げられるなど、ペンライトを持って踊ること自体が単独でフィーチャーされるような時代もなりました。
自分としては、あくまでアイドルの楽曲やステージあってのものだと思うので、この辺は少しバランスの問題だと思う訳ですが、曲にハマるものもあるのは事実です。
時代も移り変わり、アイドルの存在の仕方、距離感なども随分変わってしまった一方で、ファンが送る声援の熱量は変わらないものがあると思います。
私は、第三次声優ブームでこのアイドルとファンの在り方について知ることが出来、それが源流を辿ればキャンディーズに行き着くことを知ったときに歴史の深みを感じました。また、それ以降も色んな道筋を通って継承されてきているのも感じていて、この文化を大切にしたいと思いました。
おすすめの「キャンディーズ」アルバム
お勧めというか、お気に入りのアルバムを紹介します。
1.『年下の男の子』 (1975年、4枚目)
4枚目のアルバムであり、初の全曲オリジナル楽曲収録の作品。1曲目の「春一番」は翌年のシングル曲ですが、このアルバムに収録の後、シングルとしてセルフカバーし大ヒットとなっています。タイトル曲の5曲目は5枚目のシングル曲で初のオリコンTOP10入りをした出世作。11曲目はそのシングルB面の曲です。(※再生音量注意)
2.『春一番』 (1976年、6枚目)
8枚目のシングル「ハートのエースが出てこない」、セルフカバーで大ヒットした「春一番」を擁する6枚目。12曲目にどうも聞き覚えのある曲が収録されているなと思ったら、当時のテレビ番組「プロポーズ大作戦」のOP曲であった。(※再生音量注意)
コメント