夕ニャン、とんねるず、おニャン子クラブ!

アイドル
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週の真ん中、水曜日!夕やけニャンニャン!

「週の真ん中、水曜日! 真ん中モッコリ! 夕やけニャンニャン!」
そしてチェッカーズの歌が流れ…みたいな夕暮れ時、そして、今日も元気だ、股間がみかん的なノリ…
80年代、その始まりと共に松田聖子がデビューし、現代的な文脈での女性アイドルを確立、82年組と呼ばれる中森明菜や小泉今日子等後継組と共に一大アイドルブームを形成した訳ですが、後期になるとある一つのバラエティ番組がこの分野に一石を投じることになります。
まさに松田聖子デビューの丁度5年後、フジテレビで1985年4月1日に放送開始した「夕やけニャンニャン」が女子高生をフィーチャーして、番組は徐々に人気になり、その中でオーディションをやってメンバーを増やす、番組当初から存在したアシスタント的ポジションの「おニャン子クラブ」を増員していきました。
この頃は、まだ私の住んでいた九州地区は番組が放送されてなくて、実際に彼女達の存在を知ったのはデビュー曲の「セーラー服を脱がさないで」が世間に広まり、街中の有線で流れるようになってからのことです。60年代ポップサウンドに、今では考えられないようなインパクトのあった歌詞だったので、このデビュー曲は嫌でも耳に残りました。
この番組を実際最初に見たのは、丁度1年後の1986年4月1日。期待も膨らんでいた部分はあったのですが、実際に観て予想以上の面白さに嵌りました。パーソナリティとしては、吉田照美や田代まさし、レギュラー陣に大竹まことやとんねるずが居て、やっぱり特筆すべきは、当時勢いのあったとんねるずの存在の大きさでした。
そこで重要な役割を果たしたとんねるず。彼らとおニャン子クラブの絡み、これこそがアイドルとしてのおニャン子の魅力を引き立てるポイントだったと思います。素人同然と言うより実際の素人がテレビに出て歌を歌いという、放課後のクラブ活動のノリをそのままテレビ番組に乗せている雰囲気。
当時まだ若かったとんねるずは、某カメラ機材破壊事件の事もあってとにかく破天荒と言うイメージ、暴れてナンボの世界で、その最たるコーナーが勝ち抜き腕相撲ロッキーに挑戦でした。

おニャン子クラブ以降のアイドル界

デビュー曲が衝撃的だったおニャン子クラブからは、続々とソロデビュー組がヒット曲を飛ばし、その歌の完成度とはまた全く別の次元で売れに売れました。
それは、今までの女性アイドル像とは全く異なるもので、この番組が終わった後、90年代はアイドル冬の時代と呼ばれますが、数多くのおニャン子が世の中を席巻した後の焼け野原のような様相だったと言えます。
85年デビューの中山美穂、南野陽子、浅香唯が同時期の人気アイドルですが、おニャン子クラブと重なってしまったことにより、80年代前期のアイドルに比較すると少し影が薄くなっている気がします。86年以降も、酒井法子や西村知美、田村英里子などが注目されますが、さらに小粒な印象というかファン層が絞られた感じでした。
さらに、グループアイドル、同じ仕掛け人という意味で、現代のAKB48と決定的に違うのは、おニャン子クラブというグループでヒットを飛ばし、かつ個人やユニットでも信じられない数の楽曲を出してヒットしていることです。
その数が尋常ではありません。これは、1986年のオリコンを見れば一目瞭然、シングル1位獲得曲全46曲中、おニャン子クラブ関連が30曲、52週中の内36週を占拠するという大記録を打ち立てています。
歌はそこまで上手くなくて、見た目もそこそこクラスメイトの中の可愛い子、それでも売れるのは、番組のブランド的な後押しと楽曲の元もと持ってる良さがあるのかなと思います。楽曲自体は慣れ親しんだ昔ながらのポップスだったり、目新しさはそこまで無かったかと思いますが、逆にそこには親しみやすさがあったはずです。
おニャン子クラブは、素人が故に不祥事でメンバーが抹消されたり、オーディションの合格で増員したりを繰り返して52番まで増え、途中B組が増設されたりしましたが、その頃はもう人気も下火となります。
メンバーの中には、例えば工藤静香のようにセブンティーンクラブといった前身の履歴を持つ者も居ました。
個人的に推しだったのは初期メンだと国生さゆり、後半だと渡辺満里奈ですが、例えば国生さゆりのデビュー曲の「バレンタイン・キッス」なんかは完全に60年代ポップス。グループデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」にしたって間違いなく古き時代の洋楽ポップスがベースになっています。
派生ユニットも「うしろゆびさされ組」や「うしろ髪ひかれ隊」は特に人気でしたが、私がハマったのは後者。楽曲的な意味では、やはり工藤静香の存在が大きかったのでしょうか。彼女の声は特に際だつ響きを持っていました。CDもライブビデオもレンタル出来ましたが、かなりリピートしました。
おニャン子クラブの影響が具体的に誰にどのようなといった部分はあまり語れませんが、桃井はるこが「うしろゆびさされ組」をカバーしていたりすると、少なからず影響を受けているアーティストも居るのだろうなと感じます。
一大ブームを巻き起こしたおニャン子クラブ。個人も魅力的なメンバーは居ましたが、やはり番組も含めての総体的な魅力が大きかったので、番組が終わってしまえば人気は沈静化せざるを得ませんでした。しかし、解散ライブの模様は、映像作品として残っていますが、今見ても当時の熱気が蘇ります。
一世を風靡したおニャン子クラブでしたが、テレビ番組「ゆうやけニャンニャン」の最終回が1987年8月31日、9月20日の代々木体育館での解散コンサートを持ってついに解散となります。
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永遠のワンフー…解散コンサート上映会

おニャン子クラブのワンフーというかファンや親衛隊は、その後、思い出の代々木体育館近辺で毎年のように解散コンサート上映会を行うようになります。
テレビでも色んなタイミングで、企画物的に一部のメンバーが集結してみたりはしていますが、それとは全く別の楽しみ方としてファンが独自に懐かしむ会を記念の日に開いて居たのです。
2014年には、ライブハウスの渋谷エッグマンで開催され、自分もこれに初めて参加することが出来ました。
ホイッスル統制とか懐かしかったですし、コールが飛ぶのはもちろんのこと、色々懐かしい風景が見られました。実は、これが無料イベントだったのです。希望者のみですが、もちろん終わった後に感謝の意味を込めてカンパをしました。
本編も楽しく懐かしく、状況によっては半ば泣きそうになりながら、その後です。立見里歌(元15番)と白石麻子(元22番)がサプライズ登場。要するに旧ユニット名で言えば、(ハーフ)ニャンギラスです。そして、事前のツイッターでフラグは立っていたんですが、国生さゆり(元8番)の登場で湧きました。
国生さん自身のバレンタインキッスはもちろん、セーラー服を脱がさないで等を披露。締め括りは例のフレーズ。これは本当に感極まりました。気が付けば3時間半を超えていました。
翌年も運良く参加出来、また1年置いて(2016年はなんとBABYMETAL東京ドームと重なってしまいました)2017年にも参加することが出来ましたが、この年には、総勢9人の元おニャン子が駆けつけてくれました。もちろん事前にアナウンスがあった訳ではありません。
この日は、内海和子(13)、富川春美(14)、立見里歌(15)、白石麻子(22)、布川智子(33)、岡本貴子(35)、杉浦美雪(50)、宮野久美子(51) (※括弧内の数字は元の会員番号)、本当ならもう一人来るはずのメンバーも居たそうです。
事前カンパのおかげで懐かしのセーラーズのグッズを頂けたり、30周年の締めとして特別な挨拶があったりと、また例年とは違った感慨深いイベントとなったのです。
シークレットながら既に常連の国生さんからは、自らの著書のイベントの告知もあり、ここからサイン会への切っ掛けも得ることが出来ました。そのサイン会では、直接会話も出来てまたあのようなイベントをやりたいですねと伝えました。
翌年以降も、細々とではありますが形と場所を変えてこの遺伝子は引き継がれています。この年以来参加出来ていませんが、また機会を見て様子を見に行きたいとは考えています。

おすすめの「おニャン子クラブ」アルバム

お勧めというか、お気に入りのアルバムを紹介します。
1.『KICK OFF』 (1985年、デビューアルバム)
オリコン2位を記録したデビューアルバム。2曲目に、シングル曲ではないが番組でも良く流れた「真赤な自転車」、4曲目に旋風を巻き起こした代表曲「セーラー服を脱がさないで」を擁する。(※再生音量注意)

2.『夢カタログ』 (1986年、2枚目)
オリコン1位を記録した2ndアルバム。これは、オリジナル収録10曲にシングルセレクションが追加されている後発盤仕様。1曲目「およしになってTEACHER」は2枚目のシングル。相変わらずのレトロポップス感。(※再生音量注意)

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